「なぜ今、タイなんですか?」
最近、新規のお問い合わせで、この質問をされることが増えました。
答え自体はシンプルです。タイ市場には今も商機があります。
購買力を持つ中間層が存在し、日本製品に対する品質面での信頼も残っています。さらに、ASEANの中心に位置するため、周辺国への展開拠点としても魅力があります。
ただし、この答えだけで終わらせるのは危険です。
これらは「タイ市場へ参入する理由」にはなっても、「自社の商品がタイで売れる理由」にはならないからです。
今回は、160年以上の歴史を持つ日本の抹茶ブランド「TSUJIRI」がタイで約8年間展開した後、全店舗を閉店した事例と、タイ発のティーブランド「Peace 和 Oriental Teahouse」を比較しながら、「魅力的な市場」と「実際に売れる市場」の間に何があるのかを考えます。
タイ市場の魅力は、購買力を持つ中間層にあります
タイ市場の魅力を考えるうえで、単純な人口規模だけを見るべきではありません。
重要なのは、生活必需品だけでなく、品質、デザイン、利便性、ブランド体験にお金を払う消費者層が存在することです。
タイは世界銀行の分類でも上位中所得国に位置づけられています。特にバンコクには、国内の中間層や富裕層だけでなく、外国人駐在員や周辺国からの旅行者も集まります。
外食、化粧品、ファッション、教育、旅行などの分野では、単純な安さではなく、「信頼できるか」「人に見せたくなるか」「自分のライフスタイルに合うか」を重視する消費が見られます。
バンコク中心部では、外食費や家賃、商業施設で販売される輸入品の価格が、日本と大きく変わらないケースも珍しくありません。
少なくとも、「タイだから安く事業を展開できる」という前提で計画を組める市場ではなくなっています。
こうした購買力を持つ中間層の存在は、日本企業にとって明確な商機です。
一方で、タイの家計債務は高い水準にあり、中間層であれば誰もが高価格商品を購入できるわけではありません。市場には購買力のある層が存在しますが、その層が何にお金を使うのかは、商品カテゴリーや生活価値観によって大きく異なります。
中間層が存在するから、プレミアム商品が自動的に売れるわけではありません。
何に価値を感じ、どこで商品を知り、何と比較し、なぜその価格を受け入れるのか。そこまで理解して初めて、市場の魅力を自社の売上に変えられます。
タイ経済には強さもあれば、慎重に見るべき点もあります
タイの2026年第1四半期の実質GDP成長率は、前年同期比2.8%でした。民間消費は3.2%増、民間投資は9.9%増となっています。
数字だけを見れば、消費や投資には一定の強さがあります。
ただし、タイ経済のすべてが一様に好調なわけではありません。家計債務、所得格差、輸出環境、観光需要など、慎重に見るべき要素もあります。
つまり、「タイ全体が成長しているから、どの商品でも売りやすい」という話ではありません。
どの所得層が伸びているのか、どのカテゴリーにお金が動いているのか、価格上昇に耐えられる層はどこにいるのかを、商品ごとに確認する必要があります。
タイ市場には、日本製品への信頼も残っています
タイでは、日本製品に対して品質や安全性を期待する消費者が今も存在します。
「日本の商品は丁寧に作られている」「日本企業は品質管理が厳しい」といったイメージは、タイで事業を始める際のアドバンテージになり得ます。
ただし、その信頼は購入を決める理由の一つにすぎません。
現在のタイ市場には、日本だけでなく、韓国、中国、欧米、そしてタイ国内のブランドが並んでいます。現地企業の商品開発力やマーケティング力も大きく向上しています。
そのため、「日本製だから売れる」「日本で有名だから選ばれる」というほど、市場は単純ではありません。
日本ブランドとして最初に興味を持ってもらえても、価格、デザイン、使い方、購入場所、口コミが顧客の期待と合わなければ、購入にはつながらないのです。
日本の老舗TSUJIRIは、約8年でタイ全店舗を閉店しました
2016年12月、日本の抹茶ブランドTSUJIRIは、バンコクの高級商業施設EmQuartierにタイ1号店をオープンしました。
プロンポン駅に直結し、日本人駐在員だけでなく、購買力のあるタイ人や外国人も訪れる立地です。
TSUJIRIは1860年創業の日本茶ブランドです。宇治抹茶という分かりやすい商品力があり、日本ブランドに対する信頼もある。出店場所も、プレミアムな消費者層が集まる商業施設でした。
タイ市場で成功する条件は、ある程度揃っていたように見えます。
しかし、TSUJIRI Thailandは2025年3月31日をもって、タイ国内の全店舗を閉店しました。タイでの展開期間は約8年でした。
「購買力を持つ中間層」「日本ブランドへの信頼」「本格的な宇治抹茶」「プレミアム消費層が集まる立地」。
タイ市場の魅力を取り込める条件が揃っているように見えたブランドでも、タイ市場に残り続けることはできませんでした。
TSUJIRIの閉店理由は公表されていません
ここで明確にしておきたいのは、TSUJIRIがタイ国内の全店舗を閉店した詳しい理由は、公表されていないということです。
商業施設の賃料、店舗の採算、競争環境、現地の運営体制、コロナ禍による影響など、複数の要因が関係した可能性があります。
そのため、「ブランディングに失敗したから撤退した」「タイ人に受け入れられなかったから撤退した」と、外部から一つの原因に絞って断定することはできません。
そのうえで、タイ市場への参入や販路開拓を支援する立場から私が注目したのが、TSUJIRIと、タイ発のティーブランド「Peace 和 Oriental Teahouse」の価値の伝え方の違いです。
タイ発のPeace 和 Oriental Teahouseは、何を売っているのか
Peace 和 Oriental Teahouseは、タイで生まれたティーブランドです。
日本、中国、台湾、タイなどの茶葉を扱い、バンコクで店舗を展開しています。
この店が売っているのは、単なる抹茶ドリンクではありません。
茶葉の選び方、抽出方法、茶器、店舗空間、スタッフの所作まで含めて、「お茶を飲む時間」そのものを商品として見せています。
店内には余白があり、茶器やカウンターの見せ方にも一貫した世界観があります。抹茶を注文すれば、スタッフが茶筅を使って一杯ずつ点てる様子も、体験の一部になります。
つまり、Peace 和 Oriental Teahouseは「高品質な茶葉です」と説明するだけではなく、高品質であることを空間と接客と所作で消費者に理解させています。
日本企業ではありません。それでも、日本茶や東洋のお茶が持つ文化的な価値をタイの消費者に伝わる形へ再編集しているのです。
本物を持っていることと、本物だと伝わることは別です
一方、TSUJIRIは日本で長い歴史を持つブランドです。
しかし、少なくとも私がタイの店舗やSNSを見ていた範囲では、その歴史や茶葉の背景が消費者に十分伝わる設計になっていたとは感じませんでした。
店舗は入りやすいカジュアルなカフェとして作られ、SNSでもメニューや新商品の紹介が中心でした。
もちろん、カジュアルな店舗や商品紹介が悪いわけではありません。
ただ、ローカルのカフェより高い価格を設定するのであれば、「なぜこの抹茶は高いのか」「なぜほかの店ではなくTSUJIRIを選ぶのか」を、消費者が理解できる形で示す必要があります。
日本ではブランド名を見ただけで歴史や信頼を感じてもらえる企業でも、タイの消費者が同じ前提知識を持っているとは限りません。
創業年数を書くだけでは、歴史は価値になりません。
宇治産と書くだけでは、その産地がどのように特別なのかは伝わりません。
「本物の抹茶です」と説明するだけでは、ほかの抹茶と何が違うのかは分かりません。
日本企業が本物を持っていたとしても、それがタイの消費者に「自分がお金を払う価値」として伝わらなければ、購入理由にはならないのです。
この構造については、別記事「タイ人に“本物志向”が響かない理由」でも詳しく解説しています。
現地企業の方が、日本の価値を売るのが上手いこともあります
TSUJIRIとPeace 和 Oriental Teahouseの比較は、どちらの抹茶がおいしいかという話ではありません。
また、Peace 和 Oriental Teahouseの存在が、TSUJIRIのタイ全店舗閉店の原因だったと主張するものでもありません。
重要なのは、日本企業が持つ商品や歴史的な価値を、タイ企業の方がタイの消費者に伝わる形で見せているケースがあることです。
これは抹茶に限りません。
タイ市場では、日本の要素を取り入れたタイ企業が、日本企業以上に洗練された店舗、商品、パッケージ、SNSを作っていることがあります。
タイ企業は、タイ人がどのような写真を撮りたくなるのか、どのような空間に特別感を感じるのか、何をSNSで共有したくなるのかを理解しています。
一方、日本企業は「日本では評価されている」「長い歴史がある」「品質には自信がある」という、自社側の事実を説明することに偏りがちです。
しかし、消費者が買うのは企業の自信ではありません。
自分にとって理解できる価値です。
「魅力的な市場」と「売れる市場」の間には設計が必要です
商社時代から数えて18年、タイ市場を現場で見てきて思うのは、「魅力的な市場」と「自社の商品が売れる市場」の間には、必ず設計が必要だということです。
市場に中間層が存在しても、その中間層全員が同じものを欲しがるわけではありません。
価格設定、商品構成、パッケージ、店舗や売り場が伝える世界観、SNSで何を発信するのか、どの販売チャネルで、どの顧客層に届けるのか。
これらが一貫して初めて、タイ市場の魅力が自社の売上に変換されます。
どれか一つでもズレていると、「日本ブランドなのに響かない」「品質には自信があるのに動かない」「SNSの反応はあるのに売上につながらない」という停滞が起こります。
この状態になると、社内の担当者だけで原因を特定するのは簡単ではありません。
価格が高いのか、商品が悪いのか、代理店が動いていないのか、SNSの見せ方が間違っているのか、そもそも狙っている顧客層が違うのか。
複数の要素が絡むため、「広告を増やす」「インフルエンサーを起用する」「展示会に出る」といった個別の施策だけを追加しても、根本的な問題が解決しないことがあります。
「プレミアム価格にしたい」だけでは、プレミアム商品になりません
実際にお問い合わせをいただく案件でも、「タイではプレミアム価格で販売したい」というご相談は少なくありません。
しかし、詳しく聞いてみると、その価格を何によって正当化するのかが整理されていないことがあります。
日本製だから。
高品質だから。
日本では有名だから。
原材料にこだわっているから。
これらは企業側の説明としては正しくても、タイの消費者がその価格を受け入れる理由になるとは限りません。
また、「SNSを運用したい」という相談でも、誰に何を伝え、最終的にどこで購入してもらうのかが決まっていないケースがあります。
その状態でSNSだけを始めても、閲覧数やフォロワー数は増えても、売上にはつながりません。
私は、この設計ができていない段階で無理に施策だけをお受けすることはありません。
まず、商品、顧客、価格、販路、伝え方の関係を整理しましょうとお伝えし、場合によってはいったん依頼をお断りすることもあります。
設計が間違ったまま広告費や営業費を増やしても、損失が大きくなるだけだからです。
御社の場合、「魅力」と「売上」の間を誰が埋めますか
タイ市場が魅力的だという情報は、今ではどこでも手に入ります。
統計や市場レポートを読めば、購買力を持つ中間層、一人当たりGDP、日本製品に対する信頼、ASEANの地理的な優位性といったメリットは分かります。
しかし、「その市場の魅力を、自社の商品でどのように回収するのか」を設計する部分は、情報を集めるだけでは埋まりません。
TSUJIRIほどの歴史や知名度を持つブランドでも、タイ市場に出店し続ければ自然に根付くわけではありませんでした。
反対に、タイ企業が日本茶の価値を現地の消費者に合わせて再編集し、独自のブランド体験を作っている例もあります。
大切なのは、日本での強みをそのままタイへ持ち込むことではありません。
日本での強みのうち、タイの消費者にとって価値になる部分は何か。その価値を、価格、店舗、販売チャネル、パッケージ、接客、SNSへどう落とし込むのか。
そこまで設計して初めて、「魅力的なタイ市場」が「自社にとって売れる市場」になります。
「価格に見合う価値がタイの顧客に伝わっているか」「狙う顧客層と販売チャネルが合っているか」「日本での強みを、そのまま持ち込んでいないか」。
進出前でも、すでに販売を始めた後でも構いません。現在の計画や販売状況を伺い、タイ市場とのズレがどこにあるのかを整理します。
WITHTHAIでは、タイ市場調査、競合・価格分析、販売チャネルと現地パートナーの選定、現地営業、タイ向けSNS運用まで、実行を前提に一貫して支援しています。
タイ市場の魅力を調べるだけで終わらせず、自社の売上へ変えるための設計からご相談ください。

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